支配した女真族の王朝 「民族・歴史・中国」
金(きん、英:ChinDynasty、1115年-1234年)は、金朝(きんちょう)ともいい、中国北半分を支配した女真族の王朝。
国姓は完顔氏。遼・北宋を滅ぼし、西夏を服属させ、中国南半の南宋と対峙したが、モンゴル帝国(元)に滅ぼされた。
都は初め会寧(上京会寧府、現在の黒竜江省)、のち燕京(中都大興府、現在の北京)。金建国前の女真(ジョシン)は、現在の中国東北地区(満州)黒竜江省の按出虎水(アルチュフ川)流域にいて、遼に対して服属していた。
しかし遼の支配者達は奢侈が募り、女真に対して過酷とも言える搾取を行っていた。
これに対し、女真族の完顔部から出た阿骨打が遼に反乱を起こし、1115年按出虎水の河畔で即位して建国。「金」(女真語でアルチュフ)を国号とした。
この国号は、女真族が按出虎水から産出する砂金の交易によって栄えたことからつけられたとされる。
金は1120年に北宋と「海上の盟」と称される盟約を結び、遼を挟撃して分割し、宋側には燕雲十六州を引き渡すことを約束した。
しかし、宋は攻略にてこずったために金が燕京を落とし、宋に割譲した。
国姓は完顔氏。遼・北宋を滅ぼし、西夏を服属させ、中国南半の南宋と対峙したが、モンゴル帝国(元)に滅ぼされた。
都は初め会寧(上京会寧府、現在の黒竜江省)、のち燕京(中都大興府、現在の北京)。金建国前の女真(ジョシン)は、現在の中国東北地区(満州)黒竜江省の按出虎水(アルチュフ川)流域にいて、遼に対して服属していた。
しかし遼の支配者達は奢侈が募り、女真に対して過酷とも言える搾取を行っていた。
これに対し、女真族の完顔部から出た阿骨打が遼に反乱を起こし、1115年按出虎水の河畔で即位して建国。「金」(女真語でアルチュフ)を国号とした。
この国号は、女真族が按出虎水から産出する砂金の交易によって栄えたことからつけられたとされる。
金は1120年に北宋と「海上の盟」と称される盟約を結び、遼を挟撃して分割し、宋側には燕雲十六州を引き渡すことを約束した。
しかし、宋は攻略にてこずったために金が燕京を落とし、宋に割譲した。
update:2009年08月24日
